今日からまた旅にでます
いま朝の5時前。これから成田空港へ向かいます。またベトナムへ向けて出発です。いつも旅立ちのときは、何だかちょっとかえって憂鬱になるものですが(私はこれを「旅の憂鬱」と呼んでいます)、またきっと様々な出会いもあることかと思います。楽しんできたいと思います。
今日は本当は家族3人で出発するはずでした。ところが、私一人になってしまいました。別に悪い知らせではありません。妻が身ごもったのです。つい数日前にわかったばかりで、つわりが始まってしまっているので、やむをえずこうなりました。チケットを慌ててキャンセルしたりして、妻は残念そうですが、仕方がありません。娘はなんとなくしかわかっていないようで、がっかりされるよりはかえっていいかもしれません。(そんなことより、「ねえ、おかーさんのおなかのなかに、あかちゃんいるんだよ」とか、「あかちゃんのなまえ、なににしようか……」などと、嬉々として周囲に話しています。)がっかりしたのは、ハノイのメンさんらかもしれません。数日前の電話で「みんなで行きます」と言ったばかりなのに、翌々日の電話で「やっぱり一人になってしまいました」と言ったばかりでした。メンさんは「イトウがアカネを連れてこれば、私が面倒みていてあげるのに」なんて、ちょっと残念そうに言ってくれました。
今回の渡越は、自分自身の調査がメインです。「ベトナム戦争の記憶と語り」というのが、私にとっての新しいテーマなのです。まだ何ができるのか自分でも模索しないといけないのですが、とりあえずインタビューをしてまわる取っかかりを作ってきたいと思っています。それから、私にとっては懸案になっているベトナムの大学と茨城大学との交流協定。今回、複数の大学の先生と非公式に会ってくるつもりです。もうひとつやりたいのは、ハノイに1年近く住んだ経験をもとにした本の執筆。これまですでに書きためたものをあらためてまとめるのがメインなのですが、何とかベトナムにいながら、あの雰囲気の中に身を置きながら、形にしてきたいと思います。この本は、来春出版の予定です。
この水戸日記も、またしばらく中断します。帰国は9月1日。また写真入りの日記を掲載できればいいなと思っています。日本も残暑が続くことでしょう。みなさま、どうぞ身体にはくれぐれも気をつけて。私も気をつけて、いってきます!
(2000年8月16日早朝記)
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高校野球−−熱戦に水を差すつもりもないけれど
甲子園球場では、夏の全国高校野球大会の熱戦が連日続いています。私の場合、この時期に日本にいることがもう10年以上にわたってあまりないものですから、熱心に試合を見たということがずっとありません。今年は15日まで日本にいることにしているのですけど、そんなこともあって、あまり関心が湧きません。
それでも連日大々的にマスコミで報道されますから、地元のチームがいつ試合があって勝敗がどうなったかぐらいは、勝手に知ることになることが多いようです。もともとスポーツは好きですし、子どもの頃は甲子園に憧れたという記憶もあります。一生懸命戦っている選手の気持ちは、それはそれでわかる気がします。自分もあんなふうに大舞台で試合をしてみたかった……まあ私の場合、高校時代はラグビーをやっていましたから、甲子園よりは花園のグランドに立ちたかったわけですが。
熱戦に水を差すつもりもないのですけど、やはり気になるのは「高校野球だけ特別扱い」ということです。高校野球を見たくもない人も多々いるであろうに、「みなさまのNHK」は、全試合完全中継をします。私はNHKの受信料支払いを拒否しているので、まあ何も言えない立場なのかもしれませんが、受信料をせっせせっせと払っている皆さまは、こういうNHKのやり方に何も文句もないのでしょうか?
新聞での扱いも破格です。プロ野球よりもしっかりと報道されたりして、活躍している選手にとっては、さぞスター気分に浸れることでしょう。もちろんそうした中に、プロ野球選手予備軍としての高校野球の位置づけもあるわけです。また最近になって知ったことなのですが、出場校の地元自治体から出される補助金も、他の高校スポーツに比べると破格なんだそうですね。他のスポーツの場合、せいぜい数十万の補助金であるのに、高校野球になると数百万になるのだとか。その根拠は、「高校野球は特別だから」。かくして高校野球の人気は、とりあえず再生産されていくのであります。
人気のあるものにさらに金がつぎ込まれ人気が維持・向上させられる。それもたかがアマチュアスポーツのひとつにすぎないのに−−何だかおかしなことではありませんか。まあこんなことを言うと、「そんなことに目くじらを立てなくても」という反論がかえってくるであろうことは知っています。しかし、ありとあらゆる意味でフェアーではない。フェアーということがもっとも尊重されるべきスポーツにあって、それはないよなと思わないではいられません。
私の友人で高校教師をしている人が、自分の勤める高校野球部が甲子園に出場して、本当に大変だったということを嘆いていました。とにかく快挙だということで嫌でも関心がなくても巻き込まれていってしまう「関係者」も多いことでしょう。そんな側面に焦点を当てたドキュメンタリーやルポルタージュをNHKや大新聞がやってくれるなら、まあ少しは見直すんですけどね。
高校球児の皆さん、君らの熱心なプレーは多くの人の感動を呼んでいます。それはそれで素晴らしい。でもその一方で君たちが主役の高校野球が日本社会の中でどんな位置づけをされているのか、そんなことにもいつか思いを馳せてください。ただただ浮かれているばかりなら、ホンモノではないなという気がしますよ。
(2000年8月13日記)
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「学生指導」はどこまでやれば……
不登校やスチューデントアパシーが問題になるようになって、ずいぶん年月がたちましたが、そのような授業に出てこなくなってしまう学生を相手にして、どこまで「学生指導」をするべきなのか、大学教員としてしばしば悩ましい思いをしています。たとえば、すでに留年をしていて、今年度こそは卒業をということを年度始めには本人も言っていて、しかし授業に途中から顔を出せなくなってしまうといったケースは、少なからずあるのが現状です。とりあえず電話をしてみる、あるいは状況に応じては仲の良さそうな他の学生に電話してもらうというあたりまでやることにためらいはありません。ちょっとした声掛けで授業に再び出てこられる可能性もありますし、またまったくの不可抗力で授業に出てこれないときが続いたということだってありうるわけですから、それぐらいやるのは、大学教員であれ当然だと思います。
問題は、そのような連絡を一度だけでなく二度三度と繰り返しても、まったく音沙汰がないようなケースです。本人が一人暮らしをしている場合には、実家に電話を入れるという手もありますが、学生に本人が実家には知られたくないと思っているかもしれないと思うと、ためらいなく実家に電話をするというわけにもいきません。ましてや手紙をしたためるとか、家庭訪問をするとか、そんなことまでやるべきなのかどうか、判断に迷います。そこまでやるのがしんどいということもありますが、年齢的には「大人」と言ってもいい学生を相手に、そこまでやってやって普通なのだろうかとも思うからです。
ひとつの態度として、そんなことは最小限にしかやらないというものがありうると思います。学生も一人の「大人」であるならば、それはその学生の自己責任の範囲であり、教員が手をさしのべてやる必要など必ずしもないということです。こう言うと冷たいあるいは無責任だと感じられてしまうかもしれませんが、そう話は単純ではありません。昨今の青少年の凶行の一因は、大人が彼らをあまりに「子ども」扱いしすぎているからではないかという指摘があり、私もそれには半ば同意します。管理教育というものは、きっと相手を何も自律的にはできない「子ども」であると見なしているところから生まれてくるのでしょう。管理しなければ、あるいは規則で締め付けておかなければ、とんでもないことをしでかすに違いないという不信の関係が、そこには成立してしまいます。それを信頼の関係に変えるためには、一定の年齢(たとえば15歳ぐらい?)になったら「大人」と見なすような社会的合意が必要な気がします。そうなれば、大学生ともなればもちろん「大人」であり、学生が授業に出ようが出よまいが、それは彼らの自己責任に帰せるべき問題ということになります。
それで割り切ってしまえればこちらも気楽なのですけど、最近の社会の風潮はそうでもありません。もっと学生をサポートしてやらねば逆恨みを買うことすらあるような情勢です。それに私は、カウンセラーではないにしても、世間的にはいちおう「心の専門家」とされる心理学研究者であるわけだし。うーむ……。
極論かもしれませんが、大学と学生が多すぎるのかもしれないなと思います。学問をしようなんて気がさらさらなくても大学生になれる時代です。大学に入って卒業するというのは、生きる道のひとつに過ぎないはずなのですが、「大学ぐらい出ておかないと……」という風潮がこれだけ強くなってしまうと、「大人」ではない学生が蔓延することになります。蛇足ですがそんな中で、何となく救いを求めて心理学を専攻しようという学生も、少なくないように見受けられます。
……この私の悩み、まだまだこれから先何年にもわたって続きそうな気がします。
(2000年8月11日記)
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遠い夏の日の記憶
この文章は、8月5日に書こうと思っていたものです。28年前の8月5日、当時私は小学校3年生でした。この日、名古屋市北区の狭い長屋の一角から、名古屋市守山区の新築の4階建て住宅(の4階)に引っ越しをしました。とても暑い日でした。親戚のおじさんらがたくさん手伝いに来てくれて、クーラーのついてない自家用車で、荷物を運んでくれたのを記憶しています。
私は、その引っ越しをするのが、とても嫌でした。何より、幼なじみで仲がよかったたくさんの友達と離れるのが、嫌で嫌でしょうがなかったからです。長屋と長屋の間の路地、近くの小さな公園、川縁の堤防、雑木林とざりがにがいた沼、落雷した木があった雷神社……、そんなところでさんざん遊んだのが、私の幼少時代です。年に1回のお祭りもありましたね。御輿を担いで一回りしてくると、お菓子をもらえたりして、とても楽しかった。夏休みともなれば、もうとにかく真っ黒になって遊びました。たしか午前10時までは遊びにいっては行けない(家で夏の宿題をしなければならない)という規則になっていて、10時前に我が家に遊びに来た友達にそれを言うと、「しまった!」とか何とか言って、慌てて帰ってきました。もちろんその友達は、10時をまわると、また我が家にやってきて、手作りの野球版ゲームをやったりしました。純朴なものでした。近所にはいじめっ子もいたりしましたけど、私にとっての旧き良き時代です。
それらすべてから切り離されてしまったのが、その年の引っ越しでした。夏休みに入ってすぐの引っ越しでしたから、遊ぶ相手もおらず、その夏だけは、あまり日焼けをしませんでした。9月に入って新しい学校に入り、夏の宿題で自動車を作ってくるというのに電動モーターを使ったら、「モーターは使っちゃいけないだぞ!」なんてクラスメートに意地悪く言われたりして、馴染むまでにはちょっと時間がかかりました。もっともじきに学校にも慣れて、また良き先生にも出会い、それなりに楽しい小学校の時代を過ごせていけたのではありますが。
あの長屋の家が懐かしい。その長屋は、もうずいぶん前に建て替えられてしまって、場所は特定できるのですけど、当時の面影はもうありません。あの長屋の間の路地も、もう記憶と写真の中にしかありません。ハノイの路地へ行くと、様相はだいぶ違うのですけど、長屋の路地を少しだけ思い出します。
あれから28年。私のちっぽけな個人史も、やはり大きな時代の流れの中にあるのだなと思います。抗しきれない時代の流れ……遠い夏の記憶とともに、そんなことを感じています。さてこれからは、どこへ流れていくのでしょうか。
(2000年8月9日記)
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20世紀型公共事業の破綻が見えてきた
島根県の国営中海干拓事業を農水省が中止するというニュースが、今日あたり流れています。つい先日、島根県出身の学生から、その干拓事業がどうなるだろうか気になっているという話を聞いたばかりでした。全国のいくつかのダム建設も中止されましたし、私が現在フィールドのひとつにしている「緒川ダム」も、昨年夏の「休止」宣言から、つい先日「中止」に変更されました。大型公共事業を企画し、それによって雇用を創出しムラを活性化させる(ふりをする)のが大好きな自民党でさえ、このままでは財政的にもたずダメだと思い始めたようです。もちろん中止された公共事業は、全体から見ればまだまだごく一部ですが、これまでまったく中止されることが考えられもしなかったというのが公共事業ですから、大きな進展と言えば言えるのかもしれません。
田中角栄の日本列島改造論に象徴されるような20世紀型公共事業の数々、多くは「公共」と言われながらも、ごく一部の政治家やゼネコン関係者などを潤し、その上で自然を破壊し、地元の共同体をも破壊するものでありました。もちろんダムがなければ、現在の私たちの都市での生活は考えられませんし、それによる「恩恵」を、間違いなく受けているのではあります。が、程々にしておかないと、それこそ地球が壊れてしまうということに、遅ればせながら多少は気を配ることになったということでしょうか。
「発展」ということが永遠でありえない以上、どこかで方針転換をしないといけません。そろそろ「発展をしない」という在り方を模索すべきなのではないでしょうか。ここらで私たちが考え方を変えていかないと、後生の人達からは、「20世紀に生きた人達は、ずいぶんひどいことをやってくれた」という散々な評価を受けるに違いありません。すでに手遅れなのかもしれませんが、今からでもやれることはやらないとと思います。
折しも今年は20世紀最後の年。キリスト歴に基づいて○○世紀と言っているだけですから、別に関係ないと言えば関係ないのですけど、でもクリスチャンではない多くの人にとっても、大きな節目として捉えられることでしょう。そんな節目の時期に、そろそろ20世紀型公共事業をこれ以上続けないという選択をすべきなのだと思います。政治家のみならず、私たちみなの発想の転換を、と思います。
(2000年8月8日記)
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必要にして十分なサービス
先日福岡に行った際に、サービスということについて考えさせられました。新規加入したスカイマークエアラインズという航空会社がありますが、そこが他社よりも安い運賃設定になっているので、1月に続いて利用しました。複雑な料金設定がなく、インターネットで簡単に予約ができるので、とても便利だなと思います。それにコスト削減のために、搭乗券は普通の紙切れ一枚。通常の磁気の入った券は使いません。登場してからも、無料の新聞サービスなどはなし。軽食も出ず、リンゴジュースとウーロン茶のサービスがあるだけです。でも乗務員は愛想よく、サービス不足という感じはまったくしません。むしろ余分なコストをかけずに、良心的なサービスを提供してくれているように思えます。
福岡で泊まったホテルでも、似たようなことを感じました。大学生協を通じて頼んだ東横インというホテルに4泊したのですが、1泊5千円前後。過剰なものは何もなく、ビジネスホテルにありがちなアダルトビデオのサービスもありません。部屋はとても清潔感があり、しっかりとした机があって、ディスクワークもできます。ノートパソコンからメールを送受信するための電話端子まで、それ専用に用意されていました。朝食はビュッフェ形式ですが、和食も洋食もというのではなく、洋食だけのシンプルなもの。値段も500円と低めに設定してあります。従業員はやはりニコニコと愛想良く、気持ちよく接してくれます。こちらもコストを削減し、利用価格を抑えつつ、良心的なサービスを提供してくれていると感じます。
これで十分。これ以上のものはとくに要りません。そういう必要にして十分なサービスというのが、これからもっと増えてほしいなと思います。過剰サービスが価格に跳ね返るようなものは要らないですね、はっきり言って。サービス産業の企業は、そういうことをもっと追求してほしいものだと思います。
(2000年8月5日記)
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千葉すず選手が投げかけたもの
3回目のオリンピック出場に選出されなかったことを不服としてスポーツ仲裁裁判所に水泳の千葉すず選手が提訴していた件で、昨日、提訴内容を却下する裁定が下されました。訴えが却下されオリンピック出場の道を断たれながらも、清々しい表情をしている千葉さんの顔が印象的でした。
新聞各紙などでは様々に論評されており、千葉さんの行動を評価するものから、逆に弁護できないとするものまであります。裁定に至るまでの議論が公表されておらず、なぜ「選考に不公平さはなかった」としながら、どう「不公平」でなかったのかは明確ではありませんし、にもかかわらず千葉さんが「公平な判断が下されたと感じている」のかも、よくわかりません。裁定の中では「水連が選考基準を適切に告知しなかった」との指摘があり、日本水連側に対して、訴訟手続き費用の一部に充てる補償金として一万スイスフラン(約六十五万円)を千葉選手に支払うように命じたと報道されていますが、それだけをもってして千葉さんが「公平な判断」だと思ったとも思えません。
ただ想像するに千葉さんは、自分の問題を自分の問題にとどめず、こういう提訴を起こしてまともに戦えたこと、またそれが後々与える社会的効果について感じ取っていたため、自分にとっては不満足な裁定であったとしても、あのような清々しい表情ができたのではないかと思います。彼女が打ち破りたかったのは、ルールの元で公平に勝負が決せられるべきスポーツの世界にあって、そのルールが明確でなく、結局お偉方の談合によって決せられるという体質そのものだったのでしょう。もちろんこれで日本水連をはじめ、各種スポーツの連盟の体質がすぐに変わるとも思えませんが、一人の個人が、そのような因習的な部分を引きずる組織を揺り動かすことができるということが示されたわけです。
談合体質が蔓延している日本社会において、彼女の行動の持つ意味は少なくないと思います。ただ、千葉選手はもっと語ってほしい。風当たりがけっして弱くないと思うのですが思いの丈を、時間をかけてでも十分語ってほしいと思います。それでこそ、自身が投げかけた事の意味が明確になり、広がっていくのですから。それでこそ、オリンピックに出場して金メダルを取るよりも価値のあることなのですから。
私はあんまり人に「頑張れ」と言わないほうなのですが、彼女がスポーツ選手だということもあって、ここではこう言いたいと思います。「頑張れ、千葉選手!」
(2000年8月4日記)
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“アジア”に近い街
九州大学で行われたアジア太平洋環境行動学セミナーに参加するために、福岡に4泊しました。福岡に滞在するのは数回目です。ここは、都市部が比較的こじんまりとまとまっており、海も山も近いという地形の利もあって、なかなか魅力のあるところだなと以前から思っていました。それに海の向こうはすぐ韓国。国境の街でもあります。地下鉄の表示の中には、日本語のほかに韓国語・中国語・英語が併記されたものもありました。
屋台が並ぶことでも有名です。今回の滞在中、2回屋台に行きました。箱崎宮の中にある花山という屋台は、屋台なのにちゃんとお座敷まであって、これがまたなかなかのもの。夜風を感じながら屋台のお座敷で九大の院生らと飲んだのは、なかなかいい感じでした。聞くところによると屋台は、今年7月になってようやく条例で合法化されたのだそうです。しかし、世襲と新規開店が認められておらず、残念ながら年々減る傾向にあるそうです。愛想のいいタクシーの運転手は、かつての屋台の賑わいについて語ってくれました。
博多ラーメンも美味しいですね。豚骨スープに独特の味わいがあります。替え玉(麺のおかわり)があるのもいいではないですか。無理に替え玉を頼んだら、お腹がパンパンになってしまいましたけど。
ここにいると関東にいるのとは明らかに違った感じを覚えます。一言で言えば「“アジア”に近い街だな」ということ。日本地図が頭に入っていて、いま韓国に近いこのあたりにいるのだということがわかるためか、よけいにそんな感じがします。このあたりに住んでみるのも悪くないかななんていう気もします。水戸にいると、「“アジア”に近い」なんて感じることは、あまりありませんから。もっとも「隣の芝生は青い」というだけのことかもしれませんが。
九大でのセミナーが終わって、一人で電車に乗り、太宰府天満宮に行ってみました。そこで何となくおみくじを引いたら「大吉」。九大でのセミナーでは英語漬けだったこともあって、ちょっと疲れたなと思っていましたので、少し気分的に救われました。ついでに、いま祈願したいことのお守りを買いました。(何を祈願したいかは秘密です。)福岡市内に戻って、賑やかな天神あたりをぶらつき、たまたま見つけた古本屋で、思いがけず10冊も本を買い込みました。そのあと、そこで買った寺山修司の『家でのすすめ』を、小さなカウンターだけがある居酒屋で、ビールを飲みながら読みました。最後は、人波にもまれながら大壕公園での花火見物。久しぶりに一人旅の雰囲気を味わいました。
電話の向こうでは娘が「なんでおとーさん帰ってこないの」と、半ば怒っています。さてさて今日には帰らねば。雑事の多い生活に戻るのはなんですが、でも戻らねばなりませんね。もう少しシンプルに生活が回っていかないものかと考えを巡らせながら、今日は岐路につこうと思います。
(福岡にて 2000年8月2日記)
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コンコルド墜落
パリの空港でコンコルドが墜落したという事故は、その墜落していくシーンの映像も公開されて、かなり衝撃的でした。これまで知りませんでしたが、コンコルドは墜落事故を起こしたことがなかったのだそうで、燃費の悪さや騒音の大きさが指摘されつつも、安全性の面では高い評価を受けていたようです。しかしそれが今回の事故で、「安全」という評価が打ち砕かれてしまいました。
コンコルドは英仏の共同開発で作られました。商業的には失敗作だったと言われながらも、そのスピードとあの容姿が人々を魅了し続けてきたのでしょう。通常運賃よりかなり高い設定であっても、現在まで運用を続けられてきたゆえんです。
コンコルドの容姿は、どことなく未来の航空機の形を想像させます。しかしながらよく考えてみれば、それは21世紀に憧れる20世紀人が求めた「未来の航空機の形」だったのではないか、そんな気もします。いかにも「光り輝く未来」を具現しているという感じがします。実際の21世紀がどうなるかということとは別として、科学の発展の先にはあんな飛行機が飛び交う世界があるのではないか……そんな想いの具現化がコンコルドだったのではないでしょうか。
私はヨーロッパにはほとんど行ったことはなく、西アフリカに行ったときに、中継地としてパリに3日ほど立ち寄っただけです。そのパリの短い滞在で感じたことのひとつは、空港から市内に向かう電車の加速がとてもいいこと。とにかくギューンとスピードが増していくのです。もう10年近く前の話なので現在はどうなっているか知りませんが、「ああフランスってこうなんだ」と、妙に納得してしまった覚えがあります。スピード=善と考えられているというのは言い過ぎかもしれませんけど、そういう志向は強いのかな、と。それがコンコルドにもつながっている気がします。
こういう言い方は犠牲になった方々に対して不謹慎かもしれませんが、20世紀の最後の最後になってコンコルドが墜落したのは、何だか象徴的な意味を持っているようにも思います。20世紀人が思い描いた21世紀像が打ち破られたということだとしたら、あらためて私たちが21世紀を、科学万能ではなく自然支配の開発志向でもなく、むしろ地味に作っていかなければ、そんな想いがしています。
(2000年7月28日記)
追記 上記のニュースが入ってきた昨日、茨城県の「緒川ダム」が「中止」という判断になるというニュースも入ってきました。ちょうど1年前に「休止」という宣言が出されていたダム建設計画です。30年以上にわたって「できる」「できない」で揺れてきたダム建設計画。それがここへきて正式に「中止」。コンコルド墜落と、どこかダブって見えます。
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もっと豊かなコミュニケーションを
最近考えていることのひとつに、「もっと豊かなコミュニケーションを」ということがあります。コミュニケーションというのは、単なる言葉のキャッチボールではありません。コミュニケーションの「コミュ」とは、「共同の」とか「共通の」といった意味ですから、あえてコミュニケーションを定義すれば、やや小難しくなりますが、「共有できる行為や意味を共同生成していく積極的な営み」ということです。私たちは一人一人みな違いのある存在だと思うのですが、その違いを認めつつ、どうやって「共有できる行為や意味を共同生成していく」かが問題です。それは、日本社会にはびこる談合や根回しということではなく、一部の人が暗躍するようなことでもなく、基本的にオープンな中でしか成立しないものだと思います。
ところが、閉鎖的な日本的組織の中では、これが実に難しい。こう私も書きながらも、自分が所属している大学という組織の中では、なかなかコミュニケーションというものを豊かに育むことができません。言うは易く行うは難し、です。私も大学の先生になりたてのころは、あまりそういうドロドロしたことに巻き込まれず、またそういう世界のことも見えていませんでしたので、気は楽でした。最近、そういう世界が、自分の意図に関係なく立ち現れ、私をも巻き込もうとするので、どうしたらいいものか、心労が積み重なるばかりです。
たぶん、役所でも企業でも、質的な違いはあれ、似たようなことがたくさんあるのでしょう。だいたい日本の政治が、お偉方の談合政治なんですから。それを打破したいと思いつつ、打破できずに苦しんでいる個人は、たくさんいるものと推察します。でも、そういう個人(これには私自身も含まれてしまいますが)が、そういう組織を維持する力に、結果として加担してしまっているわけです。
そこでどうしたらいいのか。私は、自分の所属する組織の内部だけで何とかしようとしても、ほとんど無理だと思います。それより、自分の所属する組織以外のところで、大げさに言えば自分と違う世界に生きている人達と交わりコミュニケーションをしていくことが重要ではないでしょうか。NPOなどの市民運動でもいいですし、自然農を学ぶ会なんていうのでもいい。もちろん近所の人との交流を広げていってもいいし、共通のテーマでつきあえる人を捜して集うのもいいと思います。組織を超えたつながりをもっと作っていくこと、金やメンツや見かけの良さを追求するのではないつながりをつくっていくこと、そしてそこに豊かなコミュニケーションを育んでいくこと、そんなことが結果的には閉鎖的な組織を改編していく力にもなるのではないか、そんなふうに思うのですが。
だからといって、学校から「ボランティアをしましょう」なんて押しつけられるのは、まっぴら御免。個人が、誰のためでもない、自分を豊かにするために自分から始めるものでなくてはと思います。
(2000年7月26日記)
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「男が活躍する世界」からの脱却を
沖縄でサミットが開催されています。これまでさんざん沖縄をないがしろにしてきた日本政府が、いかにもそんなことはなかったかのような、沖縄を自分たちの一部として手厚く扱っているような顔をして振る舞っているのには、なんだかとても違和感を感じます。世界を不安定にすることにさんざん“貢献”してきた先進国(この言い方自体がいやらしい)が、「世界の平和と安定」なんて真顔で言っているのを聞くと、これはパロディーなのかと思ってしまうほどです。まあこんな見方はあまりにへそ曲がりだと思われそうですけど、それがどうしても取らざるを得ないひとつの見方だと思います。
そのサミットで、沖縄出身の歌手・安室奈美恵さんが小室哲哉さんの作ったイメージソングを歌いましたが、何だかあまり心に響いてくる歌とは思えませんでした。沖縄の三線や太鼓が取り入れられていましたが、これまでの小室ソングに、無理矢理沖縄色を織り込もうとしていた感じで、素人目に見ても上等じゃない。もっとも若者にもウケることを安易に狙った政府側の意図が問題なのでしょう。どうせなら、喜納昌吉とチャンプルーズとかリンケンバンドとかネーネーズとか、そんな沖縄色をくっきり出しながら活躍しているグループに登場してもらえば良かったのに。喜納昌吉さんの「花」なんて、日本の本土では一番人気ではないものの、世界的にはとても有名であるのに。
NHKのニュースもデジタルハイビジョンの放送を各首脳が見学して感心したということを何度もニュースで流したりして、なんだ自分のところの宣伝をしているんじゃないかなんて思いました。このあたり、したたかと言えばしたたかです。
ところで今回集まった8カ国の首脳、そのすべてが男であるということが、何だかとても象徴的な気がします。どうしてやっぱり男なのだろう。人類の約半分は女なのに。こういう状況は、まだまだこれからも続くのでしょうか。男女半々ぐらいの集まりになるなら、あるいはむしろ女が過半数を占める集まりになるなら、世界はもう少し生きやすいものに変わるのではないかと、そんな気がしてなりません。
サミットの報道をあまり見る気がしなくて、チャンネルを変えたら、プロ野球のオールスター戦が放送されていました。なんとなく試合終了まで見てしまったのですが、こちらも男が活躍する世界。女は周辺で、声援を送る存在にさせられてしまっています。サッカーも相撲も高校野球も、テレビ放送があるスポーツの多くは、「男が活躍する世界」のままです。
20世紀は男の時代でもあったのかもしれません。もちろん時代は変わりつつあります。21世紀に私たちがどのような世界、どのような時代を作れるのか、そろそろ真剣に考えはじめるときがきています。
(2000年7月23日記)
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未明の強震
ニュースで流れているとおり、今朝未明(午前3時39分頃)、私の住む水戸あたりを中心に強い地震がありました。熟睡していたので、揺れがかなり強くなってから気づき、一変に覚醒し、恐怖を感じて思わず大きな声が声が出ました。妻が娘を抱きかかえ、私もそれに寄り添って、旧い木造家屋の家全体がガタガタと強く揺れるのをしばらく感じました。揺れが収まっていくにつれて気持ちも静まっていきましたが、瞬間的には本当に恐怖の出来事でした。私がこれまで体験した地震の中では、たぶん一番大きかったものです。
伊豆諸島のあたりでまた大きな地震があったのかと思い、すぐにテレビをつけニュースを見ると、震源地は茨城県沖だとのこと。どうやら水戸あたりが一番強い揺れであったことを知り、でもまあ何とか被害も大きくなさそうであったので、胸をなで下ろしました。そんなことをしている間も、娘は何も知らぬ顔で眠ったままでした。
最近の伊豆諸島あたりで地震が頻発していましたけど、正直言って他人事だと思っていました。水戸あたりは結構頻繁に小さな地震があるのですけど、どれも大したことがないとすぐに思えるものばかり。恐怖を感じたことはほとんどありません。忘れていた恐怖感をふと瞬間的に蘇らせてくれた出来事でした。
朝になって外へ出てみましたが、屋根瓦が落ちているとかそんなこともありませんでした。家の中の棚から小さなものが落ちたりはしていましたけど、それも軽微なもの。ともあれ良かったなと思います。
大地が強烈に揺れる……自然界の中ですさまじいエネルギーが働いているのでしょう。そんななかで人間は無力ですね。月並みですけど、人間は自然に刃向かっては生きてはいけないんだよなと、そんなことをぼんやりとあらためて考えています。
(2000年7月21日記)
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「まじめに出席したのに……」
大学もそろそろ前期試験の時期を迎えつつあります。非常勤としていっているある短大での授業で、今日、テストを実施しました。受講学生が75名ぐらいの授業で、今回はまあまあの雰囲気の中で授業を展開させることができました。最初に、お喋りこそが授業をつまらなくする元凶であるということ、学生のみんなが授業に参加してこそ授業は面白くなるということを念押ししたら、案外それが功を奏しました。昨年度は私語を抑えるのに苦労させられたのですが、今期はそんなこともほとんどありませんでした。
そのテストの最後に、「授業の感想を書いてください」とお願いをしました。「採点の対象にはしませんが、テストは皆さんから私へのメッセージだとも思っていますから、どうぞよろしく」と言ったところ、ほとんどの学生が、何らかの感想を綴ってくれました。その大半が好意的なものであった中、ひとつだけ異色の感想がありました。曰く、「まじめに出席したのに、出席とっていないとは」。その乱暴な一文だけ。ある女子学生のものでした。
彼女の顔は、確かに毎度授業で見かけましたから、本人が書いているとおり「まじめに出席した」のでしょう。一方、けっこうサボっている学生もいたはないか。私はちゃんと出席したのに、どうして出欠をとって、それを評価に加味してくれないのだ……というわけでしょう。「まじめに出席したのに損した」と言わんばかりです。
出欠を確認する授業で、そのことに学生が敏感になるのは、半ば理解できます。しかし私は、ほとんどの授業で、出欠はとりません。第一、面倒くさいし、そもそもそんなことは、私にとっては半分以上どうでもいいことだからです。別の理由があって出欠をとる授業もやっているのですが、自分が学びたいから授業に出るのであって、出欠をとられるから授業に出るというのは、明らかに本末転倒です。
「まじめに出席したのに、出席とっていないとは」。自分よりサボっていたのに、もしいい成績をとる人がいたとしたら、それは許せないという気持ちもあるのでしょう。しかし、そんなことは、どうでもいいことではありませんか。何だか屈折しているなぁ。「学ぶ」とは、どういうことですか。……逆に、そんな問いかけをしてみたい気分です。
(2000年7月18日記)
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季節の記憶
このところ関東地方では猛暑が続いていますね。いや、気温はまだ最高潮ではないように思うのですけど、湿度が高くて身体に応えます。私の研究室は4階の南向きにあり、クーラーがないので、扇風機が暑い空気をかき回しているだけです。隣の教授の先生には、「伊藤さんもクーラー入れたら。研究室にいる時間が長いのだから」と言われているのですが、その教授の部屋にはクーラーがなく、先に入れるのはなんとなく気が引けます。地球環境のことなどもちょっとだけ考えるとクーラーなしのほうがいいと思えたりして、その上ベトナムにときおり行く身としては、この暑さに何としても慣れなければという妙な頑張り精神も頭をもたげてきたりします。そのうちにギブアップして、来年あたりはクーラーを入れることになりそうな予感がしていますが、さてどうなりますか。
猛暑のいえば、私が思い出すのは、ハノイのあの長い長い夏。バイクに乗っていると目が痛くなるくらいの暑さです。もっと遡れば、高校時代のラグビー部の練習。とくに高校一年生の夏、7月はとてつもない猛暑が続いて、その中での練習は、本当に身体にこたえました。脱水症状になりかかって、血尿に近いものが毎度練習後に出ました。あの頃はまだ運動中には水分をとってはいけないという考えが“常識”でしたから、太陽はじりじりと容赦なく照りつけ、喉がカラカラになり、時計の進み方がやたらと遅く、本当にきつかったなと思います。そんなガンバリズムは今の時代には流行らないのでしょうけど、結果としては今の自分を支えているという気はします。
いま住んでいる木の家は、夏向きだなと思います。徒然草にもたしか住居は「夏をむねとすべし」と書かれてありましたね。コンクリートの家と違って、熱があまり家の中に籠もりません。(きっと冬は寒いのでしょうけど。)その家の庭で、夕べは涼をとりながら、家族で線香花火を楽しみ、同時に月蝕を楽しみました。忙中閑有り、暑中涼有り。娘は、月蝕を眺めながら、私の胸の中で眠ってしまいました。
夏はやはり夏らしくビリッと暑いほうがいい。夕暮れ時にでも、ヒグラシの「キキキキキ……」という音が聞こえてくると、ああ風情があるなと感じます。そんな季節の記憶を大事にしたいものだなと思います。
(2000年7月17日記)
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やり直しがきかない社会
先日、茨城大学内で同僚が企画した集まりで、いわゆるホームレスの問題に触れる機会がありました。そこでは、東京でホームレスの人たちの支援をしている方と、1年以上のホームレス経験がある方に来ていただいて、学生と一緒に話を聞きました。知らないことが多かったので大変勉強になったのですが、一番印象的だったのは、ホームレスになった経験のあるその方が、「日本という社会はやり直しがなかなかきかない社会だ」と語ったことでした。社会の中でいったん道を踏み外すと、そこからやり直しがなかなかできないというのです。たしかに、たとえば履歴書を書くときに、履歴書に「穴」があるといけないなどと言いますね。学生でもなく就労もしていないという時期があるということが、過大に悪い評価を受けるということが多いようです。それに「元ホームレス」というレッテルを貼られてしまえば、その後の立ち直りも、相当困難になるのでしょう。
営業の仕事をしていたある卒業生が、仕事を辞めることにしたと連絡がきました。職場での人間関係は悪くなかったそうですが、彼女の上司は、退社することを「負ける」とよく言うのだそうです。「退社」=「負ける」かと考えると、何だかとても息苦しい気がしてなりません。何度も転職を繰り返してなかなか自分のやる仕事をきちんと決められないという卒業生もいて、それはそれで考えさせられるのですけど、退社して考え直し、もう一度自分なりにやり直すということがあってもいいはずです。でも、「勝つ」ことだけを考えてしゃにむに働いている人たちが、日本の企業社会を支えているのでしょう。自分が、そして自分を取りまく社会がどこに進んでいるのかについては、あまり思いを馳せることもなく……。
やり直しがきかない社会からやり直しがきく社会へ、それも21世紀への必要な転換点だと思うのですが。
(2000年7月13日記)
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エリートじゃない
青少年の凶悪事件が世間の話題になったかと思いきや、今度は社会の中で“立派”な肩書きを持つ人たちの巨悪事件が目につきます。巨額の賄賂を受け取った元建設大臣、賞味期限切れの製品を再利用するなどして広範な食中毒事件を引き起こした雪印、ホルマリンを下水に垂れ流し続けていたという東大医学部、自らの経営破綻を税金で何とかしてもらおうとしたそごう……。それらの中心になっている人たちは「エリート」と言われる人ばかりでしょう。でもこんな人たち、エリートでも何でもない。害毒を広げるだけなら、さっさと社会の一線から退いて、せめてこれ以上の巨悪を引き起こさないでもらいたいものです。
(2000年7月13日記)
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小麦の収穫 〈写真ありのページへ〉
昨年秋に蒔いた小麦を2週間ほど前に収穫し、先週末、ようやく脱穀作業をしました。祖父が使っていたという古道具の木槌を使い、石の上でコンコンと叩くと、乾燥した穂から実がはずれてくれます。簡単な作業ではあるのですが、穂を揃えて叩き、実を振り落とし、また次の穂を揃え……、この繰り返しをやっていたら、土曜日の午後の時間をすべて使ってしまいました。途中遊びにきた隣の子どもと我が娘が、穂を揃えるのを手伝ってくれました。
実がはずれても、もちろん実を取り囲んでいた皮が混じっています。翌日の日曜日、学生と一緒にフィールドワークをやっている美和村の過疎地域へ行って、ある知り合いの農家の家で唐箕(とうみ)という機械を借りて、実だけをより分けました。手回しで風を送り、実と皮が混じったものを少しずつ落としながら、軽い皮だけを吹き飛ばすという昔ながらの機械です。1回ではなかなかきれいにはならず、2回3回と繰り返すうちに、きれいな実だけが落ちてきます。作業を手伝ってくれた農家のおばちゃんは、「少ないけどけっこういい実だね」と話してくれました。おばちゃんは、同行した娘に「お父さん、変わったことやるねぇ」とも話しかけていました。
家に帰ってきて重さを測ったら約1.4キロでした。白い小麦粉にするには、まだこれから粉にひいて、なおかつ、ふるいにかけなければなりません。そうやったらたぶん1キロぐらいにしかならないでしょう。買えば数百円しかしない代物。しかし、私にとっては、生まれて初めて自分で作った小麦であり、お金の価値にはとうてい代えられません。娘と一緒にやった種まき、今の家を見つけるきっかけとなった麦踏み、新緑の季節に揺れた青い穂、そして収穫……、なかなか感慨深いものがあります。
私たちは毎日のようにパンを食べたりうどんを食べたりしていますが、それらがこんな小麦からできているとは、どれだけの人がちゃんと知っているでしょうか。いやもちろん、そんなことを知らなくても生きていける(生きていけてしまう)世の中なわけですが、私たちは、あまりに知らないことに囲まれすぎているのではないでしょうか。生産と消費が完全分離してしまった社会の恐ろしさを感じます。
かけた手間に比べると、1キロ余りの収穫はあまりに少ない。でも、その間にあった様々な発見や気づき、それこそが私にとっての本当の収穫でありました。
(2000年7月11日記)
追記 小麦のあとには、麦わらを倒した上に陸稲の苗を植えました。まだまだひょろっとした苗ですが、さて米も実を結んでくれるでしょうか。できあがれば、食卓を彩る黒米や赤米になってくれるはずです。
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記憶に残る歌、かけがえのないメンバー
1970年代前半に活躍したフォークソンググループのかぐや姫が、最近、再結成してのコンサートを開きました。あの「神田川」を生んだ南こうせつさん、伊勢正三さん、山田パンダさんの3人グループで、生ギター2つとウッドベースという楽器の取り合わせ。歌手は時代を映す鏡となりうる存在ですが、当時の若者の気分を見事に映し出した歌の数々を発表していったグループです。その再結成コンサートの模様がテレビ放映されたので、録画してじっくりと見ました。
私にとって知らない曲が一曲もなく、3人の個性あふれるハーモニーが心に伝わってきました。生ギターとウッドベースのアコースティックな響きがまたいい。どこかひょうきんで、どうでもいいような歌詞の中に、当時の時代の気分が見事に織り込まれている気がします。ひとつひとつが記憶に残る歌であり、一人一人がかけがえのないメンバーです。聴衆は、見たところ、ほとんど40歳以上の中年の人たち。男性も女性もいます。もちろん1970年代前半に青春時代を過ごした人たちでしょう。その年代の人たちが一堂に会して、これほど熱中して楽しそうに歌に聴き入っている姿を初めて見ました。
当時私はまだ小学生でしたから、かぐや姫が活躍中にその歌を聴いたことはありませんでした。中学生になって自分もギターを手にし、一生懸命練習したのがかぐや姫や井上陽水や吉田拓郎などの曲でした。かぐや姫のライブをラジオから録音して、想像力をたくましくして3人の姿を思い浮かべながら、何度もそのテープを聞きました。ビートルズも好きだったけど、それは自分がギターを弾いて歌える曲ではなく、一方かぐや姫のそれなら、何とかまねごとぐらいはできるものでした。
私は世代的にいえば、かぐや姫世代からはちょっと外れているわけですが、その気分は共有しているつもりです。こういう記憶に残る歌は、多くの人の共有財産ですね。今の時代、多くの歌が大量生産され大量消費されていく世の中で、この時代を思い起こさせる歌というのは存在しているのでしょうか。10年後20年後に、「あのときの歌」として多くの人が共通して思い起こせる歌というのがあるのでしょうか。グループのメンバーがひとりやふたり入れ替わっても何ともないようなのが多いようです。ビートルズもかぐや姫も、あの4人、あの3人だからこそ、ビートルズであり、かぐや姫なのだと思います。「この人でなくてはならない」というかけがえのなさが、私たちの日常の中でも、どんどん希薄になっていっている気がします。
……さて、久しぶりにギターでも取り出して、かぐや姫の歌でも歌ってみようかな。中学生の頃の気分を思い出しながら……。
(2000年7月9日記)
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政治家の所得
先日公開された国会議員の所得についての報道によると、やっぱり彼らは相当いい収入を得ているんですね。要するに、金持ちが政治家をやっているわけで(例外もあるのでしょうけど)、それゆえに、普通の生活感覚からはどんどんズレていくのでしょう。政治家の収入が、通常のサラリーマン並になったら、本当に志のある人が政治家になることになるでしょうから、この国の政治も、少しは変わるのではという気がします。総理大臣なんて名誉職でもあるのだから、大卒の初任給並でもいいんじゃないかと思いますけどね。
(2000年7月6日記)
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老舗のおでん屋
水戸の大工町というところに、「愛ちゃん」という名前の老舗のおでん屋があります。もう50年ぐらいたっているといいますから、戦後まもなく始まった店です。店の中は狭く、古びたコの字型のカウンターがあるだけ。10人も入ればもう満席といった風情です。そこで一人で切り盛りしているおばちゃんが馴染みの男性客などを相手に、美味しいおでんを安く出してくれます。酒はどういうわけか灘の酒というこだわりがある店です。
この店、最近は週末営業していなくて、なかなか入ることができません。平日にそのあたりへ行って飲むということが滅多にないためです。先週金曜日、久しぶりに出かける機会があり、帰りがけに前を通ったら営業していたので、ふらりと入ってみました。酔いつぶれそうな年輩の男性客が2人。いつものように、あまり愛想がいいとはいえないおばちゃんが、そこにいました。
なんでも家には寝たきりのお婆さんがいて、それで週末は休んでいるとのこと。「もうあと(この店が続くのも)5年ぐらいだと思っている」とおばちゃん。後継者がいるというわけでもないのでしょう。この店がなくなってしまったら、本当に寂しいなという気がします。
こういう店が生き残っていけないのが、今の日本社会なのであります。一方で、ン千万円も賄賂を受け取って逮捕されるとんでもない元大臣(言うまでもなく元自民党代議士)もいる。その許せない元大臣を生み出す構造と、こういう店が生き残っていけない構造と、実はどこかでつながっているのではないでしょうか。
(2000年7月3日記)
追記 「愛ちゃん」は、大工町交差点から北へ向かう道へ入り、最初の信号交差点の角(大工町交差点からみると左側手前)にあります。上記の通り週末と休日は休業。平日夕方5時から夜10時の営業。水戸近辺在住の皆さま、茨大生の皆さん、ぜひ一度行ってみてください。かつては茨大生もよく行っていたそうですよ。
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ん?美味しくないぞ……
つい先日、茨城大学近くの中華料理屋へ、遅い昼食を食べにいきました。これまでにも何度も行ったことがあるところで、学生を主に客としているところ。盛りがいいので、学生たちで賑わっています。
その日は、味噌ラーメンとチャーハンのセットを頼んだのですが、一口食べて、美味しさがまったく感じられない。明らかに手抜きをして調理したというかんじの味でした。とはいえ変な味がするとかいったわけでもないのでクレームをつけるというわけにもいかず、それなりに食べて、店を後にしました。
実はその数週間前にも、そこで食べました。そのときも「あまり美味しくないな」と感じたのですが、まあたまたまそうだったのかもしれないと思い、さほど気には留めませんでした。ところが2回連続で美味しくないとなると、断言はできませんが、経常的に味が落ちているのではないかと思わないではいられません。
その店は、以前からとびきり美味しいというわけではなかったのですが、まあまあの味付けをする店でした。それで、とくに私がまだ独身だったころ、ときおり食べに行っていました。茨城大学のある運動部の学生たちが常連客にもなっているようで、とても賑わっていました。現在でも客が少なくなったようには見えず、そこそこ繁盛しているようです。
でもいかんせん味が……。味が本当に落ちているのか、それとも私の舌が肥えたのか、あるいは私の味の感じ方が変わってきたのか……。いや、やっぱり味が落ちているように思うなぁ、調理している人は変わっていないのに……なのに学生を中心に客が減らないということは……、味に鈍感になっている人が多いということかなぁ……。
何も断定的なことは言えないのですけど、その店で食べたいという気持ちが失せました。何だかとても残念です。
(2000年6月29日記)
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なぜ政治が変わらないのか
昨日、「私はこの歳(36歳)になってようやく、なぜ政治が変わらないのかということが、少し理解できるようになりました」と書きました。それに続けて、「詰まるところ、目先の利益や既得権益を逃さないために、あるいは地縁やコネをそこなわないために、はたまた本当に大局的に物事を見ようとする人がきわめて少ないために、このような結果になるのですね」とも書きました。ちょっと書き足しておかないと十分ではない気がしてきたので、もう少し書いてみたいと思います。
「無農薬の梅の実」(6月25日記)で触れた緒川ダム水没予定だった地域では、30数年前の猛烈なダム建設反対運動はすっかり影を潜めて、条件つきであれ大半の人が、ダム建設賛成にまわっていました。なぜか。外国から安い農作物が入ってくるなどして、比較的小規模の農業ではまったく食べていけなくなり、また若者がどんどん村を出てしまい、当然子ども声も響かないようになり、こんな「苦」しかない地域に住み続けていても希望が持てないというためです。こんなことならいっそのこと、自分が慣れ親しんだ地域がダムで沈められようと、代替地と補償金をもらったほうが、またダム建設の見返りとして期待できる地域振興策に期待したほうが、よほどいいということになるわけです。ですから、ダム建設反対なんてもってのほか。最後まで反対を貫いた人には、「意地を張っているんじゃないかね」などという見方になっていくわけです。
そんなふうですから、公共事業の見直しを訴えるような党へはもちろん支持が集まらず、かくして自民党が大勝するわけです。なにせダム建設をしっかりと推進してくれないと困るわけですから。こうした事情で当然のごとく自民党支持をする人々に、「目先の利益や既得権益を逃さないために、あるいは地縁やコネをそこなわないために、はたまた本当に大局的に物事を見ようとする人がきわめて少ないために、……」と言うのは、当たってはいると思うのですけど、とても酷な気はします。彼らにとっては、自分の生活がかかったことでもありますから。
自民党が農村部へ行けば行くほど強いのは、こういった事情があるのだと思います。しかし一歩引いてみれば、農業に希望が持てず過疎化が進むような政策をとってきたのもまた、自民党的政治です。結局彼らがやっているのはマッチポンプ。自分で火をつけておきながら、あたかも正義の消防士であるかのような顔をして火消しにくているわけですね。そういった構造が、渦中に巻き込まれた人には、なかなか見えてこないのでしょう。見えたとしても「やはりダムは造ってくれないとどうしようもない」ということになったりするのだと思います。
しかし緒川ダムは建設「休止」になりました。実質的な「中止」であると言われています。自民党的政治のマッチポンプ的策略が、ほんの一部ですが崩れつつあるということです。そこに、政治が変わるきっかけを見いだせないものでしょうか。ほのかにそんな期待をしたいのですが。
20世紀の政治は、基本的に開発・発展志向でした。しかしそれは、とりあえずすぐに“豊か”にはなれても長続きするものではありません。多くの資源を食いつぶし、結局は負の遺産を残すものに他なりません。私は経済のことには疎いのですが、経済発展だって、いつまでもどこまでも発展するということがありえないことは明らかでしょう。21世紀の政治は、20世紀的発展をしなくてもいいという新たな「発展」の価値観を据えて、私たち人間がそうあくせくしなくても豊かな気持ちで生きていける永続可能なシステムを作っていくことが求められるのではという気がしてなりません。まだ私も上手く言えないのですが、20世紀とはどんな世紀だったのかということについての真摯な反省が必要だと思います。
(2000年6月28日記)
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選挙の不思議
衆議院総選挙が終わりました。結果は報道されているとおり。現在の野党が政権をとることのほうがまだマシかとかすかに期待していたのですが、自公保が大敗したとはいえ、3党合わせれば絶対安定多数を超えており、結局は何も変わらなかったのかと落胆しています。「結果を真摯に受け止める」なんて政治家は言いますけど、そんな言葉を真摯に聞く気にもなりません。
今回の選挙をめぐって、いくつかの不思議な点をあらためて感じました。
・数ヶ月前まで政治家となると誰も思っていなかった人が前首相の娘というだけで大勝してしまう不思議
・自民党の94人を筆頭に世襲議員が137人も出たという不思議
・小選挙区で生き票が死票を上回ったのは自民党だけという不思議
・同じく小選挙区で共産党候補者への票はすべて死票となったという不思議
・同じく小選挙区で自民党候補者の得票率は41%だったのに議席の59%を占めたという不思議
・ゼネコン汚職事件で実刑判決を受けながら当選してしまう候補者がいるという不思議
・リクルート事件で有罪判決が確定した経歴がありながら当選してしまう候補者がいるという不思議
・それらの疑惑候補者を自民党が側面支援したという不思議
・女性議員がこれまでの中で多い方とはいえ、男性議員が圧倒的に多いという不思議
・有権者の約3人に1人が投票を棄権したという不思議
・公共事業がたくさんまわってくる地域では異常に投票率が高いという不思議
結果を詳細に見ていけば、もっともっとたくさん不思議が見つかる気がします。しかしこれらの不思議、実は不思議でも何でもなく、「ああやっぱりそうなんだ」ということの裏返しに過ぎません。私はこの歳(36歳)になってようやく、なぜ政治が変わらないのかということが、少し理解できるようになりました。詰まるところ、目先の利益や既得権益を逃さないために、あるいは地縁やコネをそこなわないために、はたまた本当に大局的に物事を見ようとする人がきわめて少ないために、このような結果になるのですね。20世紀的開発志向に別れを告げて21世紀の未来像を描くより、また社会的弱者がどうなってしまうかなどと配慮するより、自分のところの利益を確保できることが大切なんでしょう。民主主義なんてクソクラエ、偉いさんが談合してでも、自分たちに利益をもたらしてくれればそれでよし。そうどこかで思っている人がきっと多いんですね。
かくして日本は、20世紀的価値観をズルズルと引きずったまま、21世紀に突入していくのであります。そう、それを結果的に許容しているのが、私たち自身に他なりません。あーあ……。
(2000年6月27日記)
追記 妻の名言をひとつ 「森首相が続投だなんて、ゾクゾクしちゃう……」
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無農薬の梅の実
茨城県の緒川村というところに緒川という小さな川が流れていて、そこに30年来ダムを造る計画がありました。昨年夏にその計画が「休止」ということになり、もはやダムはできないだろうという見通しになっています。その地域(水没予定であった地域の大半はとなりの美和村)に今年は、学生と一緒に入って、地元の人々の話を聞きながら、ダムに翻弄されてきた過疎の村の30数年間を、地元の人々の語りによって再構築しようと試みています。
その地域には、梅の木がたくさん植わっています。なんでも、ダムができて水没するときには、梅の木1本いくらという保証がされるという話があり、ある時地元の人がこぞって植えたのだといいます。その梅の木から、この時期梅の実が収穫できるわけですが、農薬をかけ色形を整えないと出荷もできないのだそうで、高齢者の多いこの地域でそんなふうに農薬を使う人はあまりいないらしく、結果的に出荷もできないという状況に陥っていると聞きました。若い人は村を出てしまうし、かつての村の共同体は賛成派(実はこちらが多数派)と反対派のしこりが残ったままで、なおかつ農業で食っていけない。昔ながらの美しい自然の残る地域ではあるのですが、なかなか一筋縄ではいかない難しい問題が山積しています。
出荷できないという梅の実、ある年輩のご夫婦に「少し分けてもらえませんか」と頼んだら、「自分で使う分ぐらいならもっていっていいよ」と、快く言ってくれました。昨日、小雨の降る中、家族3人で出かけ、落ちた梅の実を10キロほど拾いました。まだ枝についた実もたくさんありましたが、それを頂くのは気が引けたので、とにかく落ちている中で比較的色が青いのを貰い受けました。ブツブツとした部分があったりと、とても見た目にいい実とは言えません。これが店で売られていたら、確かに売れないだろうなと、私でも思ってしまいます。でも正真正銘の無農薬の梅の実。店で売られている無傷の梅の実が、まったくもって奇跡かまがい物であるかのように思えてきます。梅の実をわけてけてくれたご夫妻に何度もお礼を言い、水戸へ持ち帰えりました。
今年はこれで梅干しを作ります。夕べ、また家族3人で汚れを落とし、水洗いをしました。あまり大きく傷が付いているものは捨てざるをえませんが、少々“難あり”の梅の実でも、なんとか美味しい梅干しになってくれるのではないかと思います。ダム水没予定地だった村、そこで採れた梅の実、何だかいろいろな思いが籠もった梅干しになりそうです。
(2000年6月25日記)
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「学問をする心」をどう育めばいいのだろう
あまり厳密な話ではないのですが、何事につけ、「○○する心」というものがあるような気がします。「○○する心」というのでピンとこないのであれば、あえて英単語を使って「○○マインド」と言ってもいいです。たとえば「カウンセリング・マインド」という言い方があるように、それをすることの上手下手や好き嫌いなどとはちょっと違って、そのための興味や心持ち、それに自分なりの発想や工夫を込めて実行してみる力、漠然としていますが、そんなことを指しています。
たとえば「料理をする心」というのがあると思います。それが乏しい人は、自分で料理を作ってみようなどとは思わないでしょうし、逆にそれが豊かな人であれば、出来上がった料理が美味しいかどうかはともかく、自分なりの料理を作ってみようとすることでしょう。同様に、「裁縫をする心」「異言語を学ぶ心」「畑で野菜作りをする心」等々、そんなものがいくつもあるような気がします。
とすれば、当然のことながら、「学問をする心」というのもあります。「勉強をする心」とは違います。誰かに強いられて勉めなければできない勉強ではなく、自分で問うて学ぶのが学問であり、そんなのを自分なりにやってみようとうのが「学問をする心」です。大学は、勉強ではなく学問をする場であるとかねてから思っています。いちおう教員の立場にある者としては、学生たちの「学問をする心」をいかに育み伸ばすのかというのが、最大の仕事のように思います。
とはいえ、それを1から教え育むわけには、なかなかいきません。知的探求心が多少なりともなければ、一緒に考え議論するなどということもできません。「大学なんて、ともかく単位さえ早く取ってしまって、卒業できさえすればいい」などと思っている学生に対しては、教員の側がいくら工夫を凝らしたとしても、ほとんど無力です。与えらえた課題はそれなりにこなしても、自分の研究となるととたんに何をしていいのかわからないと嘆く“優等生”も困ったものです。
もちろん学生たちに責任をすべて押しつけるつもりもありません。教員の側、大学の側にも問題は多々あるでしょう。これまで大学は、いかに魅力的で知的好奇心に満ちたカリキュラムを組むのかという点について、もちろん例外はたくさんあると知りつつも、全体としてはやはりサボってきたと思います。それなりに希望を持って大学に入ったのに大学の授業が面白くないということは、多々あることでしょう。そういうことを勘案したとしても、どうしても、なんでこんなにダラダラしている学生が多いのだろうと、嘆きたくなります。
話が拡散していきそうなので元に戻します。学生たちの「学問をする心」、それをどう育めばいいのか、それが目下の私の悩みのひとつです。ちっとも自分で本を読まない、何も調べたりもしない、卒業論文研究はいつまでたっても思いつきの研究計画のまま、それが既存の学問知識とどう関連づけられるのかについても考えはなし、けっきょく何を研究したいのかについて自分の言葉で説明できない……。そんな学生にしばしば出会い、心労を覚えます。なんでもわかりやすくまとめて、しかも面白おかしく見せてくれるテレビ番組の影響も大なのでしょう。かつて私の研究室にいたある学生は、自分の卒業研究がなかなか進められなくて、「ああ、誰かテレビ番組のようにまとめて(成果を)見せてくれないかなぁ……」と嘆いていました。
「こんなことではダメだ」と切り捨てるように言うのでは、今の学生はそれを受けて這い上がってくるなんてことはありません。ですから、できるかぎり良いところを少しでも見つけて、そこからヒントになりそうなことを建設的に示唆したりするのですが、なかなかピンときてくれません。結局「学問をする心」がないんだなぁ……というように見えてきてしまいます。
「学生たちよ、エリートであれ」と書いたばかりですが、大学があまりに大衆化してしまったこともあり、私が考える意味での「エリート」が、本当に少ないなと感じます。これから18歳人口がますます減り、数年後には大学全入時代(希望すればいずれかの大学には入学できる時代)がやってきます。そんな時代に、どうやったら「学問をする心」を育み、「エリート」を生み出していけるのか……、私の悩みは深まる一方です。
もっと大学での日々が、知的にワクワクと興奮できるふうだといいのですけど……。
(2000年6月23日記)
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学生たちよ、エリートであれ
最近学生たちに講義で話したことのひとつに、「エリートであれ」ということがあります。学生なのに、自ら問いを発し学んでいるようには見えない学生が多いことへの不満でもあります。「エリートであれ」と言われても戸惑う学生が多いだろうということは予想していますし、誤解を生じやすい言い方でもあります。それでも、「学生たちよ、エリートであれ」と思います。
ここで言っている「エリート」というのは、一言で言うと、「知の冒険者」であるということです。いろいろな本を読み、新聞も読み、世界の諸問題について多面的に考えている人という意味です。何も、ガリガリと勉強している人という意味ではないし、いわゆる“頭がいい人”という意味でもありません。知的探求心が旺盛な人ということです。
授業に出てもお喋りしたりしているくらいなら、授業中でも携帯電話のメールが気になるくらいなら、授業になんか出ないほうがいい。そんな“無駄な”時間を過ごすべきではありません。そんなことをしているくらいなら、映画でも見にいって刺激を受けるほうがずっとマシです。もちろん、授業に参加するなら遅刻なんてするべきではないし、授業のための準備が必要なら、それも周到に徹底してやってみるべきです。授業にまともに参加しないなら、さっさと受講を取りやめるのが、先生や他の学生への礼儀というものです。
エリートというのは、誇り高き人でもあります。でも一方、大学の外にも出て、フィールドの人々に謙虚に学ぶ人でもあります。他人を卑下するような人はエリートではありません。毎日教室の掃除をしてくれる用務員さんにも感謝の気持ちを持てるような人でもあります。
学生たちよ、エリートであれ。私は君らに、もっと期待したいのです。
(2000年6月21日記)
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やっぱり選挙には行こうよ
天野祐吉さんというコラムニストが、ときおり東京新聞に面白いことを書いていて、いつも敬服しながら読んでいます。「自分もこんなふうに書いてみたかった」ということを先取りして書かれているかのようで、ちょっと悔しくさえあります。
6月17日付の東京新聞にその天野さんが「選挙は顔で選ぼう」というコラムを書いています。総選挙を控え、どの候補も政党も自己PRに躍起になっていますが、それらをいくら聞いたってどうせいいことしか言わないのだから、ほとんど参考になりません。そこで「顔で選ぼう」と天野さんは言います。一部を引用します。
で、こんどの場合の第一のカギは、立候補者の顔が“二十世紀の顔”か“二十一世紀の顔”かという選別だろう。と言っても、顔がでっかいとかちっちゃいとか、つくりが古風だとかモダンだとか、そんな見かけだけのことではない。同じリッパな顔でも、あるいは同じダメな顔でも、二十世紀的な価値観で凝り固まっている顔と、そういうものから抜け出そうとしている顔とでは、はっきりと違いがある。それを見分けることだろう。
一見とても乱暴な論に聞こえるのですが、けっこう私は共感します。つい先日私も、朝鮮半島での歴史的な握手に関連して、「まことにもって、顔は世界を変えるものであります」と書きましたし、金正日総書記のことを失礼ながら「ちゃんと“人間”の顔している」と書いたばかりです。またその前に、人の魅力についての考察で「そのように厚化粧をしている女子高生のほとんどが、判を押したようにみな、どよんと曇った顔つきで、突き刺すような鋭い目つきをしている。どう見ても魅力のある表情には見えない」とも書きました。顔の造りではなく、顔の表情、それこそが、その人の資質を非常に雄弁に物語ってしまうものだと、最近とみに思います。
天野さんは続けてこう書いています。
ぼくが思う二十一世紀型の政治家の顔というのは、“景気の回復”なんて言葉を安っぽくふりまわさない顔である。“教育制度の抜本的改革”なんて言葉をぬけぬけと言えない顔である。“高度福祉社会の実現”なんて言葉を口にすると、そのうそっぽさに自分で舌をかんでしまうような顔である。
読心術ではありませんが、その人の価値観が正直に表れてしまうというのが顔なのかもしれません。その点、森首相は、とてもいい顔とは思えないけど、正直な顔という感じはします。問題発言をするとすぐに撤回して問題がなかったかのように誤魔化してしまう政治家が多い中で、「日本は天皇を中心とする神の国」と言って撤回しないのですから、何だか馬鹿さ加減を晒しだしているだけのような気もするのですけど、それにふさわしい顔になっているなという気はします。(天野さんも実は同主旨のことを書いています。)そういう意味では彼も“二十一世紀の顔”の一人かもしれません。もっとも私は、彼みたいな政治家に投票しようとはさらさら思いませんが。
顔と言われたって困るというなら、次のような点を選考基準にしてはどうでしょう。世襲の二世議員など絶対に選ばない。縁故で投票を頼まれた人も選ばない。買収なんてもってのほか。その上で、年寄りは若手、男性よりは女性……。嘘か本当か、本音か建て前かわからないような選挙公約をいくら聞いたって判断できないのですから、そんな基準で選んだ方が、まだまっとうという気もします。
もう少しだけ天野さんの言葉を引用します。
選挙なんかしたって、世の中なんにも変わらないよ」なんて、きいたふうなことを言っているときではない。投票に行かなくっちゃ。しっかり、顔で選ばなくっちゃ。
とくに若い学生の皆さん、20歳を越して選挙権があるなら、自分で候補者の顔をじっくりながめ、ちゃんと選挙には行きましょうよ。
(2000年6月19日記)
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麦秋
梅雨に入って雨降りが続きました。今週末になってようやく梅雨の中休みか晴れ間が見え、今日の日曜日はさわやかに晴れ上がりました。昨日今日と2日続けて本当に久しぶりに出かける用事がなく、家で過ごしています。今週半ばにちょっと疲れが出て風邪をひきかけたので、身体を休めようと今週末は無理に外出しないことにしました。いま書いている本の校正作業をしたりしながら、のんびりと我が家で過ごす週末というのもいいものです。
でもずっと家にいるのでも身体がなまります。今日の午前中は、晴れ上がった天気に誘われて、汗だくになりながら小麦の収穫をしました。昨年娘と一緒に種を蒔き、いま住んでいる家を見つけるきっかけとなった麦踏みをし、それが5月には青々と穂をなびかせていました。その後だんだんと青みが消えて、刈り取りができる状態になってきました。その間にずいぶんと雀に食われてしまったのですが(まあ雀もそうやって生きているのですし)、それでも初めて小麦を作ったわりには、まあまあの収穫がありました。
農家がよくやるように根元から刈るのではなく、穂の部分だけを刈り取りました。そのほうが乾燥させる作業などがやりやすいと思ったからです。刈り取った穂を、祖父が使っていた古道具のザルの上に並べ、これから数日かけて干します。それが終わったら、やはり祖父が使っていた木製の藁たたきで脱穀作業をし、それを現在フィールドワークを学生としている茨城県美和村の農家に持っていって、「とおみ」という手回しの機械を使って、実と藁とをより分けるつもりです。我が家に初めて、麦秋がやってきました。
庭の梅の実が、「そろそろもぎ取って梅干しにつけてくれよ」と言っているかのようです。畑では、そろそろラッキョウも収穫でき、それも漬け込まなければなりません。各種ジャガイモの収穫も、ぼちぼちやっては食べています。片手間の農業とはいえ、けっこうこれでも忙しいのです。もっとも本業の農家の人たちにしたら、ほんのお遊びにしか見えないことでしょうけど、これでも生産の一部。発見の連続です。。
麦秋……うまいことを言ったものですね。小麦を刈ったあとには、陸稲の苗を植えます。本当の秋には、さてお米が少しでも収穫できるかなぁ。育てようとしているのは、古代米の赤米や黒米。わずかでも実りをつけて楽しませてくれるといいなぁ。とても楽しみです。
(2000年6月18日記)
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ちゃんと“人間”の顔している
朝鮮半島での歴史的な南北の握手のニュースは、昨今の暗いニュース続きの中で、一服の清涼剤のようなかんじがします。とくにこれまで謎に包まれていてほとんど公の場に登場しなかった北朝鮮の金正日総書記が、マスコミの前に出て、表情豊かに語ったのが印象的です。その顔を見ていて、大変失礼な言い方かもしれませんが、「ああ、ちゃんと“人間”の顔しているな」と思いました。もちろんそれだけを過剰評価するのは危険でしょうけど、これまでのイメージを一新するにたりる表情でした。何を考えているのかわからない暗い不気味なイメージが、これまでにはやはりあったと思います。世界に与えたインパクトも、相当なものだったでしょう。
人の顔というのは、その造りが美形とかなんとかそういうことはあるのだと思いますが、なんといっても大きいのは、その表情でしょう。顔の造りは整形手術でもしないかぎり変えようがありませんが、表情は変わります。とても活き活きとしたいい表情の人もいれば、ドヨンと曇った表情ばかり見せる人もいます。そういう点で、人は自分の顔に責任があるのだと思います。
今の日本で、魅力のある人が減ってきているなどと、私が自分を棚上げにしつつ思ってしまったりするのは、あながち無根拠のことではないと思っています。何と言っても、いい顔をしている人が少ない。厚化粧をした女子高生などは典型的ですが、ドーンとした重たい顔つきで、突き刺すような目つきをしている人が多いと感じます。それに比べて、ベトナム人たちの多くが、なんといい顔をしていることか。私がベトナムに惹かれるゆえんです。
北朝鮮の政治姿勢は、まだまだ楽観ができないのかもしれません。日本人の拉致疑惑というのも、事実なのではないかと私も推測しています。その一方で、今回見せた金正日総書記の顔と、韓国の金大中大統領の顔、この2人のいい表情が、閉塞状況に陥っていた朝鮮半島情勢を変えてくれる気がします。いずれも、日本の政治家にはない顔ですね。次は、金正日総書記がソウルを訪問し、またあのようないい顔を韓国人たちの前でも見せてくれることを期待したいと思います。
まことにもって、顔は世界を変えるものであります。
(2000年6月15日記)
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南北の歴史的な握手
今日、韓国の金大中大統領が平壌を訪れ、北朝鮮の金正日総書記と両手でしっかりと握手しました。午前中の非常勤の授業を終え、ある大衆食堂で昼食をとりながら、テレビでその様子に見入りました。この出来事は、長く人々の記憶に残り、また間違いなく世界史に大きく記録されることでしょう。両方の国を訪れたことがある私としても、何だかとても感慨深い思いがします。様々な対立や問題をまだなお抱え込みつつも、朝鮮半島の緊張緩和と、将来の平和的関係の樹立を願わないではいられません。
両国の軍事境界線が通る板門店には、私は2度行きました。一度は南から、もう一度は北からです。毎日会談が行われている建物の中には双方から入ることができ、その中でだけは軍事境界線を越えるのが許されます。ただし、南から行ったときは南側のドアしか出入りができず、北から行ったときは北側のドアしか出入りができません。拳を固めて全身に力をみなぎらせながら警護をしている韓国兵に比べ、無表情ながら何となく朴訥としたかんじの北朝鮮兵が対照的です。南から行ったときは軍事的な緊張感を感じさせられ、見学もせかされるのですが、北から行ったときは時間的にも余裕があり、兵士と並んで写真を撮ったり、妙なのんびり感があります。そこでは、多くの日本人が抱いているであろう両国のイメージとは、様相が逆転しています。
板門店を2度、両側から訪れて、ここを越えて旅ができたらどんなにかいいことでしょう。寸断されたままの鉄道が再びつながり、それでも越えられたら、何と魅力的なことか。商用看板のない平壌は、ひょっとしたら世界で一番美しい都市かもしれません。北朝鮮は、国家としては何をしでかすかわからないという不気味さがなおありますが、間違いなくそこでも人々が生活をしているところです。南北分断に少なからず責任がある日本という国、そこに住む者としては、いたずらに北の脅威を煽ったりすることなく、冷静に見守り適切な支援のすることが肝要だと思います。閉鎖的な国家であった北朝鮮が、わずかでもそれを開きつつあるのですから、そのことにまずは期待をかけたいと思います。
ソウルから平壌への、地続きの旅をしてみたい……。その日は、案外そう遠くはないのかもしれません。
(2000年6月13日記)
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京都の市バスにて
京都大学で研究会があり、先週末出かけてきました。京都駅から京大正門前までバスに乗り、下車しようとしたところ、小銭の持ち合わせがまったくないことに気づきました。ほんの数十円と、あとは1万円札しかありません。運転手に「1万円じゃダメですよね……」と話すと、すぐに「ほな、次のときにでも(今回の分を)入れといてください」とか何とか、京都弁で実に爽やかに言ってくれました。「すみません、では必ず次の時に」と話し、恐縮しながら下車しました。
京大付近に1泊し、翌日また京都駅に向かうときにバスの時刻表を見たら、ちょうどすぐに乗れるものがなく、やや急いでいたので、研究会に一緒に出た知人と一緒にタクシーを拾ってしまいました。そんなわけで今回は再び市バスに乗る機会がなく、運賃未払いのまま水戸へ戻ってしまいました。いや、どうもすみません、京都市バスの皆さま。次に京都へ行ったときには、必ず払います。
これが水戸のバスだったらどうだったのだろうという余計な考えが、ふと頭をよぎりました。客を信用して、あるいは半ば諦めて(?)、「じゃあ次のときに」なんて爽やかに言ってくれるのだろうか。「ちゃんと小銭用意しておいてくれないと困りますねぇ」とか何とか嫌みっぽく言いながら、他の乗客に「どなたか両替してあげてくれませんか」なんて言いそうな気がします。ちょっと偏見がすぎるかな。
京都の市バスの運転手がすべてああなのかどうかもわかりません。でも、以前に京都市バスに乗ったときも、運転がとてもスムーズで感心した覚えがあります。それにひきかえ、水戸のバスは運転もやや荒いことが多いのです。
知らない人同士でも、ルールはルールであっても、機転をきかせてさっと気持ちよく対応できる、そんなことのできる関係を増やしていくことが、このギスギスした社会の潤滑油になる気がします。
(2000年6月12日記)
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白紙のファックス
昨日研究室に、白紙のファックスが1枚届きました。表裏を逆にして送信してしまったんでしょう。それにしても誰からだろう、どんな用件なのだろう……、送り人しらず。
(2000年6月9日記)
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ニンニク入りみそ汁が好評
以前に、ニンニクをみそ汁の具してしまうという話を書きました。それを、理髪店・美容院を営む叔父叔母に紹介したところ、えらく気に入ってくれて、それ以来毎朝のようにみそ汁にニンニクを入れているとのことです。叔父叔母は韓国料理が大好きで、それゆえニンニクも大好きらしいのですが、何せ仕事柄、ニンニクの臭いをプンプンさせるわけにもいきません。でもこの食べ方なら、みそ汁が強力な臭い消しになって、それで喜んで食べているとのことです。
ニンニク入りみそ汁は私のオリジナル。ぜひ皆様もお試しください。
もうひとつ、これは私のオリジナルではないのですが、やはり叔父叔母が気に入ってくれた簡単な卵料理があります。鍋に半分ほど水をよく沸騰させ、そこに割った卵をそろりと入れます。再び煮え立つ寸前に火を止め、フタをして、しばらく寝かせます。その後、網のようなものですくって小鉢に入れれば出来上がり。なんでもこれが、卵の栄養をとる一番いい料理法なのだとか。温泉卵にちょっと似ていますが、それともちがいます。油も使わず、しょうゆも塩もなしで食べられます。
ぜひこちらもお試しください。
(2000年6月8日記)
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「人の魅力」についての演習で
非常勤で行っているある短大の演習で、「人の魅力とは?」ということを話題にしたディスカッションを展開しました。その最後に、それぞれがそのテーマで自分の考えを文章にまとめてくるということにしました。学生たちが書いた文章は、「自分も持っている人」とか「頑張っている人」など、比較的優等生的な内容が多かったのですが、中には「影がある人」などというちょっと変わったところを突いた学生もいました。
私自身も学生らと同じように一文書いてみました。彼女らとは少し世代の違う者の見方として、意図的にやや挑発調で、この水戸日記を書くのとは違った気分で書いてみたつもりです。やや誇張のある気取った感じの文章ですが、私が最近感じていることを正直に綴ったものになりました。ご笑覧ください。
日本人と魅力のある表情
最近、魅力のある人が少なくなってきているのではないか−これが、偽らざる私の実感である。もちろん自分のことを棚に上げて言っているのであるから、はなはだ無責任な言いぐさであることは承知の上である。それにしても魅力のある人が少ない……、そう感じる根拠を自分なりに探ってみると、人々の表情の乏しさということにいきつく。
若い女子高生が、ひどく厚化粧をするようになった。「いまどきの若者は……」という言い方は大昔からあるらしいから、そんな言い方もしたくはないのだが、私が高校生だった時代(20年近く前)は、化粧らしい化粧をしている女子高生は、ほとんど皆無であった。しかしここ数年、周知の通り、状況は一変している。髪の毛を茶色にするぐらいは、もうすっかり見慣れて、大して何とも思わなくなったが、目のまわりが真っ黒であったり、逆に真っ白であったり、とても凝視していられないほどの厚化粧が目立つ。同世代の異性からも見ても魅力的には見えないだろうに、どうしたことなのだろうか。
厚化粧だけならまだいい。問題なのは、そういう厚化粧をした若者の表情の乏しさである。彼女らは自分の魅力を引き立てようとしているのであろうし、一種の個性的な自己主張のつもりなのだろう。しかしそのように厚化粧をしている女子高生のほとんどが、判を押したようにみな、どよんと曇った顔つきで、突き刺すような鋭い目つきをしている。どう見ても魅力のある表情には見えない。厚化粧は、その厚さゆえに、彼女らの表情の豊かささえ塗りつぶしてしまうようである。
一方、男子高生はどうか。彼らも何だかピリリとしない。制服をまともに着ている男子高生など、最近は見かけることの方が少なくなった。だらしがない、かったるい、何もする気がしない……そんな雰囲気をあたりに漂わせている男子高生が多い。当然表情もだらしない。引き締まったキリリとした顔の男子高生など、滅多にお目にかかれない。
以上のことは高校生あたりに典型的に表れていると思うのだが、あくまで典型的に特徴が表れやすいというのが高校生あたりというだけであって、他の日本人が無関係ということはありえない。いまの日本人、その多くが、どこかかったるそうで、きわめて狭い範囲の人間関係しか許容しないような硬い表情をしている人が多い。余裕がなく疲れた顔をした日本人が、あちこちを宛もなくさまよっている。日本人全体が、そんな雰囲気の中にすっぽりと包まれてしまっているかのようである。
そう感じる一因は、自分自身でも理解しているつもりである。私にとって1年近くを過ごしたベトナム、そこに住むベトナム人との比較で、こう感じないではいられないのである。決して経済的にはまだまだ豊かとは言えないベトナム、人々が一生懸命働き生きているベトナムで、人々の表情のなんと良いことか。とくに高校生あたりの違いは著しい。私は、ベトナム滞在中、数ヶ月にわたってある高校で日本語を教えていた。そのときの高校生たちの、なんとまあ純朴で可愛らしかったことだろう。結構サボったりズルもしていい加減なところが多い彼らであるが、女子高生も男子高生も、しかめっ面をした人など一人もいない。「せんせー、せんせー!」と親しみを込めて言ってくれる彼らには、私も本当に親近感を覚え、魅力を感じた。こんな高校生が、いま日本にいるのだろうかと、本当に思う。
世の中、金金金でギトギトしている多くの日本人と違って、経済的にははるかに貧しいはずのベトナム人から、思いがけないもてなしを受けることもある。1日2千ドン(約20円)しか売り上げがないというお茶屋のお婆ちゃんは、馴染みになってもう2年ぐらいになるのだが、私が2万ドン(約200円)ほどのお金をお茶代にと無理矢理わたすと、翌日、2万ドンはするだろうと思われるお茶の葉を、子どもの頭ぐらいのビニール袋に目一杯詰めて、日本へのお土産に必ず持って行けと手渡してくれた。厳しい戦争の時代を生き抜いてきたに違いないお婆ちゃんの表情は、それだけに影も厳しさもあるのだが、その一方でとてつもない優しさを秘めている。
魅力のある表情は、人と人とをつなぐひとつの重要な要因である。そしてまた人と人とが良い関係でつながっていくことが、私たちの生活を真に豊かにすると私は思う。私たち日本人は、どうすればそのような魅力ある表情を取り戻せるのだろう。何か文化の底のほうから革命的なことでも起こさなければ、一朝一夕には変わりそうにもない。簡単そうで、なかなか深刻な問題である。
(2000年6月6日記)
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謝罪することの難しさ
栃木県で3人からリンチを受けて殺されたとされる事件で、栃木県警が、両親からの再三の捜査要請に応じなかったことが問題になっています。両親の言い分によれば、容疑者の少年と電話で話をしているときに、母親の「友人として話してほしい」という要請を無視して警察官であることを名乗り、すぐに電話が切れ、その後殺害されたとのことです。両親側と警察側での言い分が食い違っているところがあり、真相はなかなか今後も明らかにならないでしょうけど、警察側に重大な落ち度があったことは明白でしょう。その落ち度を認める謝罪文を警察も発表し、文書で両親に手渡したとのことですが、両親側の納得が得られるような内容ではなかったようです。
またしても日本的組織の在り方を見せつけられる思いがします。私は、オウム問題について書いたときに、私たちが所属している組織も多かれ少なかれオウム的だと書きました。まずは決定的な証拠が出るまで自分たちの非を認めようとしないのが、日本的組織の特徴のひとつだと思います。非を認めざるを得ない状況になっても、できるかぎりの自己正当化を図ろうとするのも日本的組織ですね。昔、小学校の先生には、「言い訳するな」と怒られたものですが、言い訳だらけなのが、この社会の現状です。
もっとマクロな目で見れば、日本という組織全体が、かつてアジア地域で戦中やったことにたいして、まともな謝罪をしていません。それを少しでもやろうという動きが出てくると、小林よしのり氏のようなのが出てきて「気色わりー」などと、とても気色悪く叫んだりする始末です。謝罪することをうやむやにしたまま、日本は21世紀に突入しようとしています。
しかしかく言う私も日本人の一人。そして日本的組織の中にいる一人であります。もし私が、栃木県警の内部の者だったとしたら、一個人として何ができるだろうかと考えると、はなはだ懐疑的にならざるをえません。たとえ茨城県本部長だったとしても、さて何ができるのか。そんな組織の雰囲気を打ち破って、全面的な謝罪と情報公開に踏み切れるのかどうか……。
つまらぬ余談ですが、先日、水戸税務署から自宅に電話が入りました。留守番電話で受けたのですが、確定申告について確認したいことがあるという内容でした。「なんだよ、おいおい、べつに誤魔化してなんかないぞー」と、すぐさま思いました。以前に単純な数字の計算違いで修正申告をしたことがありました。そんな程度のことだったらいいのだけど……と思いつつ、自分の非を突かれたようで、内心ちょっとドキドキものでした。翌日電話を入れると、「住所変更になったのはいつですか?3月?ああそれならけっこうです。内容は問題ないですから」との話。内心ホッとしたのですが、こんなことでも「俺は悪くないぞ」などと、まず思ってしまうもののようです。
ともあれ、大人が子どもに教えるように、悪いことをしてしまったら「ごめんなさい」と謝る。それが基本だろうと思います。
(2000年6月5日記)
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祖父が作った古道具
私は、残念ながら自分の祖父に会ったことがありません。父方の祖父も母方の祖父も、両親が結婚する前に他界してしまっているのです。父方の祖父は、なんでもエスペラント語を少し勉強していたと聞いていますし、母方の祖父はお酒が好きだったなどと聞いています。一度会ってみたかった……、どうしようもないことではありますが、本当に心からそう思います。
5月上旬に、母方の兄弟姉妹とその子どもたちなどが集まる親戚会があり、私たち家族も久しぶりに出てきました。母の実家は、岐阜県恵那市にあり、笠置山が望めるとても景色のいいところにあります。実家も残っているのですが、祖母が20数年前に亡くなってからは、空き家になってしまっています。でもお墓があるし、叔父などがときどき手入れに行っているので、土間のある古い家が、まだかろうじて建っているというわけです。
その家も、近々移転を余儀なくされそうで、解体の憂き目にあいそうです。ずっとこのままというわけにもいかないのでしょうから、仕方がないのでしょう。先日の親戚会のときに古道具が話題になり、まだ使えそうな農具などの一部を、私がもらい受けることになりました。一斗缶をつぶして作った大きなちりとりのような道具や、お茶などを干したという四角いザルのような道具、それにふるいなど、器用だったという祖父が作り使ったのであろう道具を、千葉県に住む従姉妹が車で持ち帰ってくれました。先日その従姉妹の家まで行き、祖父が作り使った道具を、無事水戸まで運ぶことができました。
どれもこれも40年以上前に、つまり私が生まれる前に使われていたものであり、どこか温かみがあります。もちろんお蔵入りさせるつもりはなく、私自身の農作業の中で使うつもりです。あの世なんてあるのかどうか知りませんが、会ったこともない孫が自分の道具を使い始めることを祖父が知ったら、きっと喜んでくれることでしょう。こうして世代を越えて道具を受け継いだ喜びを感じます。祖父の気持ちを感じながら、これらの道具を大切に使いっていきたいと思います。
(2000年6月5日記)
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何と狡賢いことか……
明日(6月2日)、衆議院が解散するとのことですが、この6月2日に解散するということに、代議士のお偉方にとっては大変意味があるようです。朝日新聞社のホームページによれば、6月は2日間でも勤務したことになると、6月のボーナスは満額、さらに12月のボーナスまで3割分が支給されるのだそうです。これが5月末の解散なら、6月のボーナスは2割削減され、12月のそれは支給されず、6月1日の解散なら、6月のボーナスは満額のものの、12月のそれはやはり支給されないのだとか。こういうカラクリによって、2日間の勤務のために40億円もの国費が費やされるのだそうです。
何と狡賢いことか、と思わないではいられませんね。財政状況が厳しく、国立大学でさえ独立行政法人化への動きで効率化が求められようとしている中、それだけのお金があれば、けっこうなこともできるハズなのに。日頃は、私利私欲を捨てて……なんて口にしている代議士たちも、そんなことには目をつむって、右から左まで全員、あっさり受け取るんでしょうね、この40億円ものお金を。これがまぎれもない、今の日本のお偉方の現状です。
せめて共産党の代議士ぐらい、それを返上するなんてことをしないのかしらん。40億円は、私たちのお金。もっと怒らないといけませんな。
(2000年6月1日記)
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犯罪心理学はなかなか学べません
先日、心理学を学びたいという高校生などからの問い合わせがくるという話を書きました。彼ら彼女らの関心は主にカウンセリングや犯罪心理学などに向けられていて、心理学には様々な分野があり、また歴史学や哲学や文学などとも接点があるということを、ほとんど理解してくれていません。私がいる人文学部というところは、人間に対する様々なアプローチをする学問分野が集まっているところで、心理学はその一つにすぎません。しかし、心理学だけ、中でもたとえば犯罪心理学だけに関心があるという感じの問い合わせがあって、やはり世間に流布している心理学のイメージとはこういうものかと、あらためて思わずにはいられません。
茨城大学に限ったことではありませんが、大学に犯罪心理学を専門に研究する人というのは、日本ではほとんどいないのが実状です。何か事件が起こるとマスコミに担ぎ出されてコメントをする大学の先生はいますが、私の知る限りそういう人でも多くの場合、自分の一番の専門はちょっとズレたところにあって、マスコミの要請に従ってコメントをしています。(マスコミに担がれることを気分良く思っていそうな人もいる気がしますが。)日本で犯罪心理学の専門家と言えそうなのは、警察の科学捜査研究所に勤めて実際にそういう現場で働きつつ研究している人だけなのではないでしょうか。
そんな状況ですから、大学で犯罪心理学を専攻するなんていうわけには、普通はいきません。仮にできたとしても、容疑者と呼ばれる人に実際に接したりできるわけでもなく、自分でデータを集めて研究するということはほとんど不可能です。心理学の他の諸分野を専攻し、将来現場に入って犯罪心理学の研究を本当にしていくということなら、可能性はあるのでしょうけど。犯罪心理学に興味があるという高校生の皆さんには、そんな実状をぜひ理解してもらいたいと思います。
それにしても、なんでカウンセリングや犯罪心理学、あるいは異常心理学といった分野に関心が集まるのだろうと考え込んでしまいます。ちょっとうがった見方すぎるかもしれませんが、人の異常性を理解できるようになれるだろうという期待の裏に、自分自身を相対的に“正常”な位置に置きたいというもうひとつの期待があるのでしょうか。そのような推測が部分的にであれ当たっているとしたら、それこそ“異常”な感じがしてしまいます。そんな内向きの志向ではなく、もっと外向きに、心理学の諸分野や人文諸科学への幅広い関心を持ってもらいたいものだと思います。好奇心とバイタリティーをもっと旺盛に!
(2000年6月1日記)
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